11月 28日

昔商人ありて、バイブとオナホを売っておった。
商人曰く、「このバイブはどんなマグロでも潮を噴かせ、
このオナホはどんな遅漏でもイカせまする。」と。

そこで一人の男問いて曰く「そのバイブでそのオナホを突かば、どうなるか。」と。

午後 03:00
11月 27日

偽物の宗教は、私の願いを叶えてくれると言ってくる。うまくかなうときも、叶わないときもある。ありとあらゆる災害から身を守ってくれると言う。そう言われれば、災害から遠ざかっているような気もするが、災害に出会ってしまうこともある。しかし仮に願いを全て叶えてくれ、あらゆる災害から身を守ってくれる力があったとしても、それはやっぱり偽物なのだ。
 「そんなばかな。」と思うだろう。しかし、願い事が何でも叶うということは、結局は人間を不幸にしてしまうのだ。

「こうだったらいいなあ。」という願いはどこから来ているのだろう。それは、「浮き雲のごとき」不安定な自我の発するものなのだ。自我は満足することを知らない。一つ願いが叶えば、もうひとつ、さらにひとつ、もっともっとと増長し続け、貪ることを止めない。自我が増長すればするほど、人は柔らかな心を失っていき、そしてついには破滅してしまうのだ。
 古代ペルシアの呪いに、「おまえの願いがたちどころに叶うように。」というものがある。古代ペルシア人は、自我の増長の先にある破滅をよく知っていたのだろう。

 本物の宗教は、私の願いをかなえてくれるものではない。あらゆる災害から身を守ってくれるものでもない。しかし、何もかなわなくても、何が起こっても平気な私にしてくださるのだ。自我という物の正体を見せてくれ、それに振り回される姿に気づかせることによって、真実に頼れるものへと導いてくれるのだ。

 本物の宗教と偽物の宗教の違いとは、その行いや考えがなにを基準にしているかで分かれる。言ってみれば人間の欲望を助長させる宗教は偽物で、その欲望がいったい何であるのかを直視させる宗教は本物だ。そして、偽物の宗教にハマった人の心は頑なに、もろくなっていくが、本物の宗教に出会った人の心はやわらかく、ある意味ふてぶてしくなっていくという特徴もある。

 人はだれでも幸せになりたいものだ。しかし、自分の考える幸せが何であるのか、ということについてはあまり深く考慮しない。カルト宗教はそんな心の隙間にそっと忍び寄ってくるのだ。

午前 08:48
古代ペルシアの呪いに、「おまえの願いがたちどころに叶うように。」というものがある。古代ペルシア人は、自我の増長の先にある破滅をよく知っていたのだろう。
午前 08:30

そんな人々に、私はブルーハーツ時代の甲本ヒロトのこの名言を送りたい。

「売れてるものが良いものだったら 世界一うまいラーメンはカップラーメンだ 」

午前 08:23
ラブレターと原稿は一晩寝かせてから提出する
午前 08:22
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